3. 認定第3号 平成26年度
日光殿堂案内協同組合殿
「堂者引き」世界遺産 “日光の社寺”
文化的景観の構成要素としての観光ガイド
平成26年5月19日 認定
日光堂者引き 第3号認定証
1603(慶長8)年に江戸幕府を開いた徳川家康を祀った日光。幕府は日光を霊廟として神格化しながら、広く門戸を開いて庶民の心をとらえるという相反する目的を果たすため、日光社殿を案内する観光ガイド「堂者引き」を定めました。以来約360年、組織は引き継がれ現在も26人が「日光殿堂案内協同組合」として脈々と活動し続けています。
今回その歴史的重みと活動に対し敬意をもって認定することに致しました。
日光殿堂案内協同組合ホームページ
http://www.nikko-annai.com/
日光駅
日光は1996年世界遺産に登録された。登録遺産の範囲は二社一寺(二荒山神社、東照宮、輪王寺)及びこれらの建造物群をとりまく遺跡からなり、その中には国宝9棟、重要文化財94棟の計103棟の建造物群が含まれる。その日光の入口、JR日光駅は風格のある駅です。
日光山の開祖・勝道上人の銅像の前
日光山は奈良時代末勝道上人-しょうどうしょうにん-によって開山されました。写真は日光山の入口、勝道上人像前で日光殿堂案内協同組合(堂者引き)春日理事長から説明を聴いているところ。ここから日光の歴史と文化の世界が始まります。
日光山は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折戦勝祈願し不敗で帰還したことから、以来源頼朝をはじめ歴代の征夷大将軍が崇拝する聖地となり繁栄を極めた。しかし、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた折、日光が北条氏を支援したため秀吉の逆鱗に触れ領地を没収され没落した。豊臣を滅ぼした徳川家康は江戸幕府開府と同時に日光を江戸の守りとして安堵、以来日光の繁栄がはじまる。
日光殿堂案内協同組合
日光殿堂案内協同組合(堂者引き)の事務所は勝道上人像のまん前にあります。
輪王寺金堂
勝道上人像から日光山に入ると先ず輪王寺金堂がある。現在平成の大改修の最中です。
日光山の成り立ちや家康・家光公の想いなど、春日理事長のダジャレを交えながらの説明は分り易くおもしろい。
石鳥居
輪王寺から東照宮の参道を上がると正面に石鳥居が見える。
石鳥居を見上げる石段は、上にいくほど横幅が狭くなっている。10段の石段を遠く高く見えるように遠近法を利用している。また、参道から石鳥居、東照宮は真正面にみえないようになっている。これは日光山が霊廟であると同時に軍事施設であることを表している。攻めにくく守り易い構造になっているのだ。
この石鳥居はNHK大河ドラマ・黒田官兵衛の息子、長政が献上したもの。2011年3.11の東日本大震災にも少しの損傷は受けたが、倒壊は免れました。
見ざる聞かざる言わざるのお猿さん
建物全体で、一匹のお猿さんの生涯を表しており
生まれて、育てられ、結婚し、親となる成長過程を、春日理事長が分り易く説明してくれました。
陽明門前で名調子
陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門であることに由来している。
陽明門の前で堂者引き春日理事長の名調子は続きます。
眠り猫
名匠 左甚五郎-ひだりじんごろう-の作と伝えられ、東照宮の数ある彫刻のなかで最も有名な彫刻。
眠り猫の真裏には雀の彫刻があり、共存共栄を表している(猫が起きていれば雀は食われてしまう)戦乱が治まり、平和な時代がやってきたことを表しているという解釈もある
朝鮮鐘
4代将軍・家網公の誕生を祝賀して、日本にやってきた朝鮮通信使が献納したもの
日光市堂者引きの方とNPOメンバー記念撮影
山のレストラン明治の館の前で日光殿堂案内協同組合、日光観光協会はじめ地元の皆様と記念撮影。日光の歴史と文化にどっぷりつかり酔いしれた一日でした。日光のみなさんどうもありがとうございました。
閑静な日光不動苑に建つ「明治の館」は、石造りの洋館レストラン。蓄音機を日本に初めて紹介したアメリカの貿易商F.W.ホーンの別荘として建造されたこの館は、気品あふれるエレガントなムードの中、西洋料理を堪能できる。
認定証授与式
認定証授与式のようす
「オンリーワンのまち」第3号認定証授与式のようす。
山のレストラン明治の館の個室で行われた。津田令子理事長(左)と日光殿堂案内協同組合・春日武之理事長(右)。